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笑点メンバー歴代座布団運びと司会を調査!山田くんの年収も




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日曜の夕方、日テレ系で放送されている超長寿番組の「笑点」。サザエさん症候群と若干似ていて、この番組が始まると微妙に心が重くなってしまう感じがあります。

この、笑点も司会が変わるごとにメンバーもマイナーチェンジをします。番組は昔ながらの寄席っぽくて年代の高い方がたくさん見ているイメージが強かったですが、最近は、少し若返った感もありますよね。
 
そして長い歴史を持つ番組だけあって、これまで、名物の座布団運びやMCなども随分変わってきました。そこで、今回は、笑点の歴代座布団運びと司会にまつわるエピソードと座布団を運んでいるだけの山田くんの年収と一緒にまとめました。

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歴代の座布団運び

1966年5月15日:三升家勝松(桂文字助)

初代座布団運びの三升家勝松さん。今は、桂文字助を襲名しました。笑点への出演によって、立川談志さんとつながりができ、後に弟子入り。相撲話をしたらピカイチと言われていました。

1967年1月29日:石井伊吉(毒蝮三太夫)

石井さんは、俳優として「ウルトラマン」に出演中、笑点の座布団運びをすることが決まりました。「ウルトラマン」では隊員を演じていたので、正義の味方が座布団運びをしているのはおかしいという苦情が届き、毒蝮三太夫に改名したという驚きのエピソードを持っています。

1969年11月9日:三遊亭笑遊(三遊亭円遊)

三遊亭笑遊さんは、レギュラーメンバーだった三遊亭小圓遊さんの弟弟子で、座布団運びに選ばれます。しかし、8か月で降板、のちに三遊亭円遊を襲名しました。

1970年6月21日:小野千春・桂米助

当時人気だった女性アイドル、小野千春さんと、笑点がテレビデビューだった桂米助さんのコンビです。米助さんは、「突撃!隣の晩ごはん」で有名になりましたよね。今となっては貴重なコンビです。

1970年7月18日:松崎真

強面の俳優としても活躍していた松崎さんですが 約13年間、座布団運びをしていました。挨拶はいつも、「手をあげて横断歩道を渡りましょう」で、このキャッチコピーが、子どもたちに人気だったそうです。

1984年10月7日:山田隆夫

もうおなじみですよね。山田隆夫さんです。現在まで、なんと33年間、座布団を運び続けているんです。 起用の理由は、今まで座布団運びをしてきた人が大柄な人ばかりだったので、小柄な人が一生懸命運んだら面白いのではないかというプロデューサーの発案から。

座布団運びが芸として注目を浴びるようになったのも、山田さんからです。山田さんが座布団を運び始めて10年ぐらい経った時、当時司会だった円楽さんが、「悪口を言われたら突き落としてしまいなさい」とアドバイスしたそうで、それ以来、ただ座布団を運ぶ係ではなく、時には前に出て笑わせることも多くなりました。

そして、今までは、司会の交代とともに座布団運びも交代してきましたが、「伝統は継承するべき」という歌丸さんの考えによって、継続が決まっています。

まさにメンバーからも信頼される座布団運びですね。

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山田さんの年収は?

山田さんの座布団運びのギャラは、座布団1枚で5000円、出演一回分で大体10万円といわれています。これだけで年収480万円になりますから、一般のサラリーマンと比べても十分な収入です。

しかし、山田さんは不動産投資もしており、これが大成功したんだとか。その収入が座布団運びの10倍だそうで、推定4800万円です。なんと、単純計算でも年収5000万円を超えています。

山田さんといえば知る人ぞ知る、アイドルグループで4人組のずうとるびのリーダーとしてデビューしました「みかん色の恋」という歌を出してクリーンヒット。当時のバラエティーでもかなり売れっ子だったようです。

解散してからしばらく芸能界の表舞台に立つことはありませんでしたが、1984年に見事、伝統のある笑点の座布団運びに選ばれたんです。おそらく、アイドルで頑張ってた頃の貯金でマイホームを買ったのかもしれませんね。

山田くんは、駆け出しの頃から、マイホームを建てて、普通の人が乗れないようなスーパーカーに乗るという夢を持っていたそうです。小さな家を建てるところから始めて、スーパーカーを買い、最終的にマンション2棟を建てるところまで叶えたとおっしゃっていますから、まさに有言実行ですね。

歴代の司会

1966年5月15日:立川談志

立川さんは、笑点を作り上げた初代司会者です。プロレス中継の穴埋め番組を作ろうとしていたプロデューサーに落語を売り込み、CMが入っても成り立つ大喜利という形で、番組をスタートさせました。

立川さんのブラックジョークがメンバーに受け入れられず、メンバーの総入れ替え、視聴率の低迷による降板などもありましたが、今普通に生活している人が落語に触れる機会といえば、やはり笑点ですよね。落語を普及させようという立川さんの思いは、今も生き続けていると思います。

1969年11月9日:前田武彦

前田さんは、落語家ではなくタレントですが、そのフリートークの上手さに目を付けた立川さんが、司会を打診しました。軽妙な話芸で番組を沸かせ、視聴率も安定していました。

また、前田さんに司会が変わると、笑点を象徴するテーマ曲「笑点のテーマ」が披露されたり、出演者がカラフルな着物を着るようになったり、現在の笑点に通じる自由な発想が取り入れられました。

1970年12月20日:三波伸介

三波さんは、前田さんが出演できなかった際に急遽司会を務めたことから、3代目司会就任となりました。三波さんはコメディアン、伊東四朗さんなどとてんぷくトリオを結成していましたが解散。その後、採用されました。

落語への理解が深く、立川さん以来続いていたブラックユーモア中心の進行から、落語家ならではの小気味の良い返しを際立たせる司会へと変更しました。
痛快で胸のすくような、それでいて分かりやすいやりとりは、今も続いていますよね。

1983年1月9日:三遊亭円楽

円楽さんは、笑点の元メンバーでしたが、一度引退。三波さんの急死に伴う臨時の司会として再登場し、その後、歴代司会者の中で最も長く司会を務めています。 円楽さんの特徴は、メンバーや座布団運びの色を強く出そうとしたこと。

司会者のキャラクターではなく、メンバーの個性ある返しによって、視聴者を楽しませる形を作り上げました。その結果、笑点のメンバーにも、視聴者との間にも、和やかな空気が生まれ、お茶の間に愛される番組へと変わっていきます。

2006年5月21日:桂歌丸

円楽さんのあとを受けて、メンバーから司会に就任した歌丸さん。後輩メンバーから、「ジジイ」、「ハゲ」といじられていましたが、これも、歌丸さんの「舞台に立ったら上も下もない」という持論から生まれたものです。

結果として、後輩メンバーのブラックジョークを引き出し、笑いを取っていましたよね。
また、自分をいじったメンバーの座布団を、容赦なく全て没収するという、「歌丸ジェノサイド」は、爆笑をとっていました。

2016年5月29日:春風亭昇太

メンバー時代、独特なブラックジョークを歌丸師匠に浴びせ、存在感を増していた春風亭昇太さん。歌丸さんのあとを引き継いで、司会に就任しました。
個性的なメンバーがそろうなか、広く場を見てよく回していますよね。
先輩メンバーに翻弄されながら進行する姿が笑いを取り、今までにない司会者像を作っています。

まとめ

今の笑点は、歴代の司会者とメンバーが、試行錯誤しながら少しずつ作り上げてきたものであることが分かりますね。また、座布団運びも、進化し続けているのがわかります。

音楽こそ古いものを使っていますが、古典でありながら新しいことにチャレンジするという姿勢がこれだ歴史のある番組に仕立てているのかもしれません。

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