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潜伏キリシタンとは?関連遺産(長崎・五島)や隠れキリシタンとの違いも紹介!




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毎年、ユネスコの世界遺産登録で春には話題となります。今年長崎と熊本の潜伏キリシタン関連の遺産が世界遺産に登録される見込みとなりました。

事前に審査をする機関がユネスコに勧告をし、その後正式に決まることになるのですが、ふと気になったのは「潜伏キリシタン」という言葉です。

当時の時代劇や、教科書では「隠れキリシタン」という言葉が使われていますが、「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」はどういった違いがあるのでしょうか・・・。

長崎や五島列島の関連遺産なども併せてご紹介します。

 

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潜伏キリシタンと隠れキリシタンの違い

私たちがよく耳にする隠れキリシタンといえば、江戸時代にキリスト教を禁止されてしまった信者の方々が、仏教徒に紛れて幕府に内緒で信仰を続けている姿です。

1.強制改宗により仏教を信仰していると見せかけ、キリスト教(カトリック)を偽装棄教した信者。
2.1873年(明治6年)に禁教令が解かれ潜伏する必要がなくなっても、江戸時代の秘教形態を守り、カトリック教会に戻らない信者。

出典:ウィキペディア

ほぼ同じ意味で扱われることが多いようですが、あえて区別するなら、1を「潜伏キリシタン」、2を「カクレキリシタン」と呼ぶようです。

潜伏キリシタンとは?

日本にキリスト教がもたらされたのが、1549年、宣教師のフランシスコザビエルが日本にやってきて布教をしたのが始まりです。その考えに賛同する人々が改宗し増えていきましたが、1614年に徳川幕府からキリスト教が禁止されてしまいます。

1637年に島原の乱がおこったあたりから、キリスト教は徹底的に取り締まられるようになりました。

そこで、当時キリスト教を信仰していた人々は、表向きには仏教を信仰しているように見せかけながら密かにキリスト教を子孫に伝えていくという方法をとりました。

1873年に、禁教令が解かれたあと、潜伏キリシタンたちは、その後どんな宗教を信仰するのかと決断を迫られた時に、それまで自分たちで信仰してきたキリスト教が元になった信仰を選んだ人たちがカクレキリシタンと区別されるようになったのです。

カクレキリシタンとは?

日本では、禁教令があったためにキリスト教を指導する司教などがおらず、200年もの間、自分たちで信仰を守ってきて、日本古来の民族信仰などとも結びついてきていました。

禁教令が解かれ、カトリックの宣教が再会しても、これまで信仰してきた様式などを受け継ぐ人が多く「古ギリシタン」「旧キリシタン」「元帳」という名前で現地では言いますが、こういった信仰を残す方々のことを学術的には「カクレキリシタン」と呼ぶそうです。

 

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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

潜伏キリシタンの遺産とは長崎県と熊本県の12の資産が元になっています。

長崎県
大浦天主堂
外海の出津集落
外海の大野集落

南島原市
原城跡

佐世保市
黒島の集落

平戸市
平戸島の聖地と集落(春日集落と安満岳)
平戸島の聖地と集落(中江ノ島)

北松浦郡小値賀町
野崎島の集落跡

南松浦郡新上五島町
頭ケ島の集落

五島市
久賀島の集落
江上集落(奈留島)

熊本県
天草市
天草の﨑津集落

まとめ

世界遺産の勧告がされたことによって、登録がより近くになったのは間違いありません。今後、6月24日の世界遺産委員会(バーレーン)での会議を経て、最終的に決定となります。

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