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暮らしの手帖の創業者の結婚は?花森安治の家族や大橋姉妹は?

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好調な視聴率で過去の朝ドラ「マッサン」も追い抜く勢いの「とと姉ちゃん」。とと姉ちゃのモデルとなったのは「暮らしの手帖」で知られる創設者の大橋鎭子さん。家族を女の人を幸せにしたいという信念のもと、本に生涯をささげた大橋鎭子さんと花森安治さんを調べてみました。

花森安治さんの家族や大橋氏から見た花森さんとは?

とと姉ちゃんの大橋鎮子さんを語るうえで、忘れてはならないのが、花森安治さん。唐沢寿明さんが演じる花山伊佐次のモデルとなった方です。暮らしの手帖の創刊者でもあります。

グラフィックデザイナーであり、コピーライターとしても活躍をしました。

1911年10月25日生まれ、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学し、在学中に「帝国大学新聞」の編集に携わる。
卒業後に、伊東胡蝶園の宣伝部に入社し広告デザインをします。太平洋戦争に召集されますが、結核のために除隊となります。

その後敗戦となるまでは、大政翼賛会の外郭団体で国策広告に携わります。
有名なキャッチフレーズの「欲しがりません勝つまでは」を新聞3社で募集したものを採用した人でもあります。
  終戦後の1946年にとと姉ちゃんモデルの大橋鎮子と「衣裳研究所」を設立し、雑誌の「スタイルブック」を創刊する。

1948年に、生活雑誌「美しい暮しの手帖」(後の「暮しの手帖」)を創刊する。編集長として企画から取材、記事執筆だけでなく、ページレイアウト、見出しの書き文字レタリング、毎号の表紙絵までこなしていたそうです。

 花森安治は大橋鎮子と出会う前に結婚をしていました。大学時代に、呉服屋「山内呉服店」の末娘の山内もも代さんと出会います。学生結婚の末に藍生さんというお嬢さんが生まれています。

花森さんはユニークな視点と行動力の方だったようで、髪型はおかっぱ頭、スカートをはいて過ごしたそうですが、一説には女性の気持ちを理解するためだったとか・・・。昭和の時代にそんなことができることって相当の信念がないと難しいですよね・・・(;^ω^)

素晴らしい仕事をする一方、大橋さんが花森さんを怒鳴りつけたこともあるようです。

花森には幼稚なところがあり、機嫌を損ねると何日も仕事をせず、こうなるとあらゆることが気に喰わないようすで、しょうもないこまごましたことに文句を言いつづける、ということがあった。

出典:「花森安治の仕事」 著者 酒井寛

思い切って、大橋さんが怒ると「仕事をするかーと」何もなかったように戻ったようですが、なんとも微笑ましいですね。

大橋鎭子さんは結婚をしたの?

大橋鎭子さんは結婚はしておられません。やはり家族を自分が幸せにしたいという気持ちが強かったんでしょうか・・・。

大橋鎭子さんは、1920年3月10日に東京深川で父、大橋武雄の長女として生まれます。次女・晴子、三女・芳子の三姉妹でした。
父親が肺結核を患い、家族で看病をしますが鎭子さんが小学校5年の時に他界。10歳で喪主を務めます。
小さいころはガキ大将だったと自己分析をされていますが、リーダー的な要素も小さいころから持ち合わせていたんですね。

お父さんの「お母さんを助けて、妹の面倒をみるように」との遺言通り、母と妹たち家族を幸せにしなければ・・・と心に誓ったそうです。

その後、東京府立第六高等女学校を卒業し日本興業銀行を経て、日本読書新聞社に勤務します。
「女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい」という気持ちを持ち、花森安治の協力を得て、「衣裳研究所」を設立、女性のための服飾雑誌「スタイルブック」を創刊。初代社長として経営や編集も手掛けます。

2013年に93歳で亡くなる1年前まで仕事に携っておられました。
人間味あふれる人柄は、社員にも慕われて皆「しずこさん」と呼んでいたそうです。

なにか信念を持って打ち込めるってとても素敵なことですね・・・。とと姉ちゃんの今後の演技にも期待です!

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